MISアメリカ陸軍情報部

ビルマ(現・ミャンマー)(1944年5月1日):陸軍情報部語学兵、ハワイ・パアウイロ出身ハーバート・ミヤサキ三等軍曹(左)とカリフォルニア州コルサ出身アキジ・ヨシムラ軍曹(右)が、ビルマでジャングルでの戦闘後、「メリル略奪隊」として知られる第5307複合グループ司令官フランク・メリル准将とつかの間の休息(アメリカ陸軍通信部隊提供)

第2次世界大戦中、日本人を祖先に持つ6000人以上の日系アメリカ人が陸軍情報部に従事し、その約半数はハワイ出身者でした。敵国である日本の言葉や文化に関する知識を有した陸軍情報部の兵士たちは、無数のかけがえのない命を救い、早期終戦に導く大役を果たしたといわれています。

陸軍情報部の二世兵士の多くは、ミネソタ州の陸軍情報部言語学校で学び、やがて、少人数で編成されたチームで最前線から最高司令部に至るまでのあらゆる部隊に配置され、めざましい功績を残しました。彼らは太平洋やアジア、そしてイギリス、オーストラリア、中国など、連合国に駐留していた米軍師団に配置されました。

二世兵士たちは、大日本帝国軍との攻防戦において、アリューシャン列島からガダルカナル、中国、沖縄まで、あらゆる戦地で戦いました。戦争捕虜の尋問や、日本側から入手した文書の翻訳、プロパガンダの執筆、ラジオ放送の制作や傍受を担い、敵陣への侵入、敵兵が潜んでいる壕の掃討、また、戦闘歩兵としても闘いました。その上、その容姿から友軍から日本兵に間違われる危険もあり、その恐怖を背負いながら戦い抜きました。

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パプアニューギニア・アイタペ(1944年4月22日):アリゾナ州ヒラリバー強制収容所から志願して陸軍情報部語学兵となったハリー・フクハラ(右)とサンフランシスコ出身のショージ・イシイが日本人捕虜に尋問(アメリカ陸軍通信部隊提供)

TAROA, Marshall Islands, September 10, 1945: Japanese Rear Admiral Shoichi Kamada, left, surrenders to U.S. Navy Captain H.B. Grow while MIS linguist Donald S. Okubo, of Honolulu, translates; Okubo went alone to Taroa and convinced Kamada to surrender his garrison of 1,000 men. (Photo: U.S. Army Signal Corps)

マーシャル諸島・タロア島(1945年9月10日):ホノルル出身で陸軍情報部語学兵のドナルド・S・オオクボの通訳を受け、アメリカ海軍H.B.Glow大佐に降伏する帝国海軍鎌田正一少将。オオクボ語学兵は単身タロア島に渡り、鎌田が率いる1000人の兵に投降を呼び掛けた。(国立公文書館提供)

日本軍が所有する全ての武器の一覧表を翻訳し、その後のアメリカ軍の爆撃作戦計画や日本軍の武装解除に多大な影響を与えた二世スペシャリストや、傍受した無線を解読・翻訳し、日本海軍の山本五十六長官が乗った一式陸上攻撃機撃墜計画を成功に導いた二世もいました。さらに、フィリピン防衛のために日本軍が発令した、連合国の攻略部隊を迎撃する計画「Z号作戦」の解読や翻訳に尽力しました。

戦後、陸軍情報部は、近代化と民主主義化に向けて再建を目指す敗戦国の日本と、戦勝国である連合国占領軍との架け橋として、必要不可欠な存在となりました。

業務の性質と、必要に応じて配置されたという事情から、陸軍情報部の存在は長く極秘扱いとされ、その功績は長年にわたって文書化されることはなく、公に知られることもありませんでした。 終戦から55年が経った2000年、部隊に授与される最高級の栄典である大統領殊勲部隊章が陸軍情報部に与えられました。1942年5月1日から1945年9月2日まで敵国に対して勇敢に職務を遂行し、アメリカ軍の勝利に貢献したことが認められたのです。

より詳細な情報は MIS Veterans Club のウェブサイトをご覧ください。

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ニューギニア・シミニ(1943年1月2日):ブナ作戦で捕らえた捕虜に尋問する(左から)第32歩兵師団のホーキンス少佐とフィル・イシオ語学兵、アーサー・ウシロ・キャッスル語学兵(国立公文書館提供)

WO JIMA, March 9, 1945: Tom Miyagi, MIS linguist with the 5th Marine Division, holds a captured Japanese soldier while marines treat the prisoner’s wounds. (Photo: U.S. Marine Corps)

硫黄島(1945年3月9日): アメリカ海兵隊員が負傷した日本兵捕虜を治療する際、捕虜を介添えする第5海兵師団陸軍情報部トム・ミヤギ語学兵(アメリカ海兵隊提供)

VELLA LAVELLA, Solomon Islands, September 14, 1943: Major J. Alfred Burden and Tateshi Miyasaki, MIS linguists with the 25th Infantry Division, interrogate a captured Japanese sailor. (Photo: National Archives)

ソロモン諸島・ベララベラ島(1943年9月14日):捕虜となった日本人兵士を尋問する、J・アルフレッド・バーデン少佐と第25歩兵師団陸軍情報部タテシ・ミヤサキ語学兵(国立公文書館提供)

OKINAWA, 1945: Warren Higa, left, of Honolulu, questions a prisoner about Japanese positions; Higa and his brother Takejiro were from Hawaii but went to school on Okinawa. (Photo: U.S. Army Signal Corps)

OKINAWA, 1945: Warren Higa, left, of Honolulu, questions a prisoner about Japanese positions; Higa and his brother Takejiro were from Hawaii but went to school on Okinawa. (Photo: U.S. Army Signal Corps)